御祭神 大山祇(積)命

配祀

和足彦神
身島姫神
上津姫命 (雷神)
下津姫命 (龍神)

御祭神は『三嶋大明神略縁起』による

 三島神社の御祭神は大山祇命(おおやまつみのみこと)(おおやまづみのみこと)。「やまつみ」とは「山を持ち坐(いま)す」という意味を表しており、大山祇命は山の神様です。また、大山祇命は『伊予国風土記』では和多志大神(わたしのおおかみ)とされており、「わた」は海の古語であることから、海の神様でもあります。
 大山祇命は天照大御神(あまてらすおおみかみ)の兄にあたる神様で、日本総鎮守の神様といわれています。配祀としてお祭りしている、上津姫命は磐長姫命(いわながひめのみこと)、下津姫命は木花開耶姫命(このはなのさくやひめのみこと)と考えられており、大山祇命の娘にあたる神様で、この親子には次のような神話が残っています。
 天照大御神(あまてらすおおみかみ)の孫として高天原(たかまのはら)から降臨した邇邇藝命(ににぎのみこと)は、美しい木花開耶姫命と出逢い、一目惚れします。そこで、父である大山祇命に結婚の許可をもらいにいくと、大山祇命は大変喜び、姉の磐長姫命共々、邇邇藝命に差し出しました。ところが邇邇藝命は、磐長姫命がとても醜かったので追い返してしまったのです。
 実は、大山祇命が磐長姫命をも差し出したのは、邇邇藝命の命が磐のように恒久であれという誓約(うけい)に基づくものでした。

 誓約とは、「そうならばこうなる、そうでないならばこうなる」とあらかじめ宣言し、その結果によって吉凶、成否などを判断する、古代の占いのこと。磐長姫命を返してしまったことで、邇邇藝命の子孫の神様は長命ではなくなったとされています。
 現在では、磐長姫命は長寿の守護神として信仰されており、一方の木花開耶姫命は、火の中で邇邇藝命の子供を出産したという説話から、火の神や安産の神とされています。

 なお、三島神社の御本社は、愛媛県今治市大三島にある元国幣大社(こくへいたいしゃ)の大山祇神社(おおやまづみじんじゃ)です。

三島神社御鎮座の起源

 弘安4年(1281年)、元寇の役の際、河野通有(こうのみちあり)は氏神である大山祇神社(三島大明神)に戦勝祈願して出陣、大山祇神社の神使(しんし)、白鷺(しらさぎ)の導きによって勝利を得た。その帰陣にあたり、夢の中で受けたという神のお告げにより、武蔵国豊島郡に三島大明神の分霊をお迎えし、上野山内の河野氏の館に遷座鎮祭したことが始まりという。
 慶安3年(1650年)、徳川三代将軍家光公より社地移転を命ぜられ、金杉村(現在の台東区根岸)に遷座。さらに宝永7年(1710年)、社地が幕府の御用地に指定されたため、浅草小揚町(現在の台東区寿)に遷座した。
 しかし、氏神様が遠くて困るという氏子一同の念願から、分霊を金杉村字金杉町(現在の台東区下谷)に勧請。これが現在の三島神社である。三島神社の宮司は代々河野通有の子孫が奉仕している。

三島神社 年中主要祭典

は大祭です

元旦祭がんたんさい

(歳旦祭)さいたんさい

節分祭せつぶんさい

(追儺祭)ついなさい

◎祈年祭きねんさい

◎火除稲荷祭ひよけいなりさい

◎例大祭れいたいさい

一月一日
 午前十一時

二月三日
 午後三時

二月二八日
 午後七時

三月六日
 午後三時

六月十八日
 土曜 午前十一時
 祭典

六月十九日
 日曜

 年の初めに国の繁栄とこの国に住む皆様の家内安全、ご一家の繁栄をお祈りするお祭です。年中行事の中で、大祭に次ぐ重要な祭で、歳神(としがみ)をお迎えしてお祀りします。歳神は、新年の穀物の稔りを約束してくださる神様であり、私たちに生命を与えてくださる神様です。

 立春の前日、節分の日に、「追儺(ついな)」あるいは「鬼儺(おにやらい)」と呼ばれる、厄除けの儀式が執り行われます。赤鬼、青鬼に扮した町内の方々が、太鼓の音とともに神社の拝殿に現れると、「鬼は外 福は内」の唱え言をしながら鬼打豆(炒った大豆)をまき、鬼を払います。

 「トシゴイノマツリ」とも訓みます。五穀豊穣と国の繁栄を祈願する大祭で、十一月の新嘗祭と対をなします。この日は神社の本殿が開扉され、多くのご加護をいただける神事です。

 摂社(一神社内で本社に付属する小社のこと)である火除稲荷社の大祭で、火難除け、防災、安全、商売繁盛を御祈願します。神前に供えられたお菓子(神様が召しあがったお菓子)を、お参りされたお子様にお分けしますので、お子様にも神様のお力とご加護を感じていただくことができる神事です。

 正式には大祭式例祭(たいさいしきれいさい)といい、神社で最も重要な祭です。氏子崇敬者、またこの国に住む皆様の健康、子孫繁栄、産業発展、平和を祈る大祭で、神職の「オー オー」と言う、警蹕(けいひつ)二声(にせい)の掛け声により、普段閉まっている本殿の扉が開かれます。
 年一回、御祭神や神社に特別の由緒のある日に行われ、みだりに日にちを変更することができないとされていますが、現在では六月十四日、十五日に近い土曜日、日曜日に執り行われています。金曜日の宵宮(よみや)に神様の御霊を「御神酒所」に移し、お神輿にお乗りになった神様から町の安全と繁栄、そこに住む皆様の幸せとご加護をいただくためのお祭です。
 三島神社の例大祭では、特例として、氏子による献幣使(けんぺいし)神事があります。氏子の代表者が白い装束に身を包み、神様への献上物である幣帛(へいはく)を唐櫃(からひつ)に入れ、行列を作って町を練り歩きます。そして、神社の神様に幣帛を供え、宮司および他の神社から例大祭のため御奉仕にいらした神職の皆様と共に祭典に御奉仕し、神様への感謝とお祝いの詞として、寿詞(よごと)を奏上(そうじょう)します。
 連合渡御では、神社の前の金杉通りに町会のお神輿がすべて集まり、一斉に担ぎあげ、氏子崇敬者の結束を固めて、神恩感謝を心に誓います。

大祓式おおはらえしき

大祓形代流おおはらえかたしろながし

秋 祭あきまつり

七五三宮参り

◎新嘗祭しんじょうさい

大祓式おおはらえしき

六月三十日
 午後七時

七月十日
 午後七時

九月十五日
 午後七時

十一月十五日
 現在は十一月の
 行事

十一月二八日
 午後七時

十二月三一日
 午後七時

 六月の大祓は夏越(なごし)の祓ともいわれています。日頃知らず知らずに犯してしまった罪穢(つみけがれ)を祓い清めて、人本来の神様のような清らかな心に帰り、幸福を招来する厄除招福の行事です。
 三島神社では、紙でできた人の形をした人形(ひとがた)を氏子崇敬者の皆様にお配りし、その人形にご自分のお名前、生年月日、年齢を記入、身体の各所を撫で、息を三回吹きかけて罪穢をうつしていただきます。罪穢をうつした人形は神社の祭壇に供えられ、宮司による大祓詞(おおはらえことば)の奏上と、白い紙を四角に裁断した切麻(きりぬさ)により祓い清められます。

 大祓式の際に配られる、形代(人形)という自分の身代わりとした人形に、心身の穢れを吹きつけて海川に流す開運招福の神事です。
 三島神社では、境内に笹竹を四本立て、その中で人形を燃やし灰にして、その灰を川に流します。形代(人形)は神社でお配りしています。

 本来この日は、例大祭の日とされ『改撰江戸志』には、「祭事、五月十九日、九月十五日」と記されていますが、今日では忌月(正月、五月、九月)の祭として、その望(もち)の日(陰暦の十五日)に小祭として執行されています。秋の収穫を神様に感謝し、天下泰平を祈るお祭です。

 徳川時代に、武士の間で流行り、一般的となった行事で、三歳、五歳、七歳の各歳の十一月十五日に、晴れ着をまとって神社にお参りし、成長への感謝と今後のご加護を神様にお祈りする、お子様の厄除神事です。

 「ニイナメサイ」とも訓みます。新穀を神様に供え、一年の五穀豊穣に感謝し、神様とともに新米新酒をいただいて寿(ことほ)ぐ大祭です。二月の祈年祭と対をなし、本殿の御扉が開かれ、たくさんのご加護をいただくことができます。寿ぐとは、喜びや祝いの言葉を述べることです。

 十二月の大祓は師走(しわす)の大祓、年越の祓ともいわれています。六月の大祓式とともに、神社の行事として最も古い行事で、私たち人間が知らず知らずに犯してしまった罪穢を祓い清めて、身も心も清々しく新たな気持ちになるための厄除招福の神事です。奏上される大祓詞(おおはらえことば)は祝詞の名文です。

境内建物、文化財等

火除稲荷社

御祭神
保食命(うけもちのみこと)
例大祭
三月六日

 境内には火除稲荷社(三島神社の地主神)が鎮座されています。昔、徳川氏が上野山内の火難方位除けのために勧請したと伝えられており、古くは「ミサキ稲荷社」と称していました。後に、この地が火除地と定められ、その際、火除稲荷と改称されましたが、その創建年代等、詳しくはわかっていません。
 今日では、火難除け、商売繁盛、家内安全、防災、安全の神様として敬われています。

雷井戸(伝説)

 昔、武蔵野の原野は雷が多く、里人たちはいつも怖い思いを強いられていました。そんなある日、三島神社の境内に雷が落ちたときのことです。神主が雷を井戸の中に封じ込めたところ、雷が「井戸から出してくれ」と頼んだそうです。神主は「二度とこの地に落ちない」ことを約束させ、雷を許してあげたという伝説が残っています。
 以来、この地には雷が落ちないといわれており、井戸は雷除けの井戸として信仰されています。

試験に落ちない 業績が落ちない 山から落ちない ...

三島様の石橋

 三島神社の横にある道路は、かつては川。その土手は吉原に通じていました。人々は、川にかかる橋を渡って参拝し、橋は「三島様の石橋」として親しまれていました。明治の末期より、その石橋の一部を東参道の敷石として保存しております。
 樋口一葉(ひぐちいちよう)の『たけくらべ』に、「三島神社の角をまがりてより、これぞと見ゆる家もなく」との一文があり、これはこの道筋のことです。台東区の「一葉記念館」にも、この内容が記されています。

三島神社華表の碑

 境内入口に、尾崎咢堂(おざきがくどう)が東京市長時代に撰文した華表の碑があります。

几号水準点

不の刻印が、北門の入り口の敷石に彫られています。

アクセス

三島神社へお越しの際は、公共の交通機関をご利用ください。
(東京メトロ日比谷線 入谷駅 4番出口より徒歩8分)
(JR山手線  鶯谷駅 南口 徒歩15分)

三島神社

東京都台東区下谷3丁目7番5号
電話・FAX 03(3873)0172